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横須賀簡易裁判所 昭和37年(ろ)66号 判決 1963年4月19日

被告人 鈴木統策

大七・二・一五生 茶商

主文

被告人を罰金壱万参千円に処する。

右罰金を完納することができないときは金五百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中証人千葉益治、同小川愛之助、同城所直一、同丸尾政孝、同鈴木茂、同石神信郎、同内山リヨに支給した金四千円は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

(一)  自動車運転の業務に従事しているものなるところ、昭和三七年一月二九日午後九時四〇分ころ、普通乗用自動車(神五な〇二二四号)を運転し時速約三〇粁で三崎方面から衣笠十字路方面に向う途次神奈川県横須賀市小矢部町一五二番地先道路に差しかかつたのであるが、およそ自動車を運転するものは進路前方を注視して道路工事個所等を早期に発見しこれに対応する適切な措置を講じ、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務あるのにかかわらずこれを怠り、慢然進行した過失により左側前後輪を工事個所に落して暴走させ折柄道路左側を対面歩行して来た千葉益治に自車左前照灯附近を衝突はね飛ばし、よつて同人に対し全治二週間を要した頭部左大腿部打撲傷を負わせ、

(二)  前記日時場所において、前記自動車を運転中自車を千葉益治に衝突させ前記のとおり傷害を負わせたのにかかわらず、被害者の救護をなさず、

(三)  かつ前記事故の日時、場所等法令で定める事項を最寄の警察署の警察官に報告しないで、その場を立ち去つたものである。

(証拠の目標)(略)

(被告人および弁護人の主張に対する判断)

被告人および弁護人の主張はこれを要するに「判示(一)の業務上過失傷害の事実は認めるが、被告人は当該傷害事故を認識しなかつたので、被害者の救護ならびに警察官に対する報告をしないで、その場を立去つたものであり、これ等の違反について故意はない。と云い、更に弁護人は、かかる傷害事故の認識を欠く運転者に対し被害者の救護ならびに警察官への事故報告を期待することは不可能であるから被告人の右両義務違反の責任は阻却され、業務上過失傷害の点の有罪は認めるが、右救護、報告義務違反の点は二つながら無罪である。」というにある。よつて判示(一)の傷害事故について、果して被告人に認識がなかつたかどうかにつき案ずるに、被告人の当公判廷における供述、当裁判所の取調べた前掲各証人の尋問調書、証人内田リヨ、同千葉益治の当公判廷における各供述、当裁判所の検証調書を総合すると、被告人は前示普通乗用自動車の後部座席に鈴木茂、石神信郎の両友人を同乗させて運転し、時速三〇粁位で三崎方面から衣笠十字路方面に向つて事故現場にさしかかつたのであるが、大体右十字路の手前国電「ガード」真下に位する本件事故発生現場地点の道路は被告人の進行方面に向つてその左側が少くとも前後各十数米の間道路工事中のため削り取られて掘り返され右側通行可能の路面より五、六寸位低くなつていたところ、被告人は前方注視を怠り慢然進行した過失により、事故現場の手前一四米余り位の所から自車左側前後輪を工事個所に落し右側前後輪はそのまま平坦な道路上に跨がせ左に傾く形で暴走を始め、これに気付くや正常路面に脱出復元すべく把手を右に切るようにして左側前後輪の内側を削り取られた道路断面に接触させ、そのきしみと工事場に置かれてあつた砂利を轢く音で相当に高い「ザアザア」という音響を立てながら約一二米余り進行し、削り取られた道路断面が左に入り込み彎曲した箇所で大きく「バウンド」しながら漸くもとの路面に乗り上げ、そのまま運転を続け約二米程進行した道路上において、削り取られた道路ぶちから五寸位の所を対向歩行して来た千葉益治の左大腿部のあたりに自車の左前照灯附近を衝突させてこれをはね飛ばし、判示傷害を与えたうえ約一四米進行して美由喜履物店地先の路上で一旦停止し、すぐさま把手を左に切り方向を換え発進、そのまを現場を立去つたことが認められる。そこで被害者千葉に衝突する直前の状況についてつぶさに検討するに、前記各証拠を総合すると、被告人は左側前後輪を工事場に落して暴走したが暴走中正常路面に復元しようと努力し、その脱出乗り上げに好個な地点発見のため直前の注視に集中緊張して運転した模様が認められる。この状況に、本件被害者で職業は自動車運転者である証人千葉益治の当公判廷における「前照灯の光度は普通であつたし、自分の方から見てその自動車に人の乗つているのも見えたし、車の方から見て前照灯の照射圏内に自分が入つていたものと思う」旨の供述部分、同人との衝突地点は、大体被告人の車が平旦な路面に復元したところから約二米半位前進したところと認められる点を総合し、経験および実験則上被告人の車が右被害者に接近した瞬間、自車の前照灯照射圏内に対面歩行して来た当該被害者の人影が浮ばない筈はなかつたろうと推察されても仕方ない状況にあつたと思われる点、被告人は車輪の多少の損傷は覚悟で工事場を暴走したと供述し、また右暴走中金属性の音が聴えて「ホイルキヤツプ」(車輪蓋)がはずれたのではないかと案じながら走つたと供述している点、被告人自身事故の起きた予感でもなければ尋ねないような「どうかしたか」との質問を鈴木、石神の両同乗者に向つて発し、鈴木は曇つた後部窓硝子をぬぐい窓越しに後方の外部を一見したのみで「何んでもないよ」と答え、被告人もすぐさま運転席から振り返つてその窓越しに後方を望見したが、「ホイルキヤツプ」(車輪蓋)の落ちているような様子もなかつたので運転を続けたと供述している点、そして同乗者に安否を尋ねた理由として車が平旦路面に復元の際「バウンド」が大きく二人が左に大きく傾いたのが気にかかつたし、道路工事場を走つたので馬(四脚製の移動柵を指す)。でも轢き倒すか、はね飛ばしたような余感もし、少しは工事場を荒しはしなかつたかとも思われたし、砂利を飛ばして近くの商店等に害を与えはしなかつたとも思つたので聴いたものであると弁解している点、(この「馬」の被害等は本件では確認されない。)特に前示のとおり被告人の「どうしたか」の問に対し同乗の鈴木が異心伝心的に突差に後ろの硝子窓の曇りをぬぐつて外部を一見し、被告人自身も後ろを気にしてその窓越しに後方を一見したその全員一連の挙動が衝突を起した地点を通過直後であると認められるだけに、被告人は勿論同乗者等においてすら被告人の車の暴走によつて何にものかに接触し、心配に値いする何等かの事故の惹起の認識(未必的といえよう)があつたためであることを推認するに難くない。この被告人認識の事故を採証上被告人のために利益に解し、その弁解のとおりとしても、少くとも道路工事場の暴走によつて、工事現場や工場施設等に何等かの損壊を与えたと思惟する程の事故の認識のあつたことが認められる。

およそ自動車が交通により有体物に異常な接触をした場合はもちろん、あるいは、そのような緊迫状態が起きた場合にはそれが誘因で、対象が人であれば死傷を、物であれば損壊をもたらし、些細な接触が思わぬ災害の結果を惹き起すことは吾人の通常経験する事態であるから、交通中自車が何ものかに異常な接触をし、またかかる緊迫状態が惹起したことを認識した自動車の運転者は、人や物の具体的な損傷の結果の確定的認識の有無を問わず、直ちに車を停止して、まず積極的に事故内容、程度、状況等を確め、災害の有無を確認すべき義務があり、その時災害が発生していればその確認が前提となつて始めて人の死傷、物の損壊等の災害の別、その内容状況等が現実に確定的なもとして認識され、それ相応の救護ならびに道路における危険防止等必要措置が展開され得るのである。ときにこの確認行為はその過程において火急にして実験的なるがゆえにそのまま、応急処置としての救護等の措置行動である場合があり、少くともつねに、その一部において互に重なり合い相助け合うものである。すなわち両者は理念的には救護等措置の範疇に位し、事実的には確認が先発して救護等の措置を誘導し、反面それが措置により修正を受けつつその精度を増し、両者が積み重ねられて事故相応な救護等の措置を成立せしむるものであり両者はその構造上不分離の存在である。道路交通法第七二条第一項は「車輛等交通による人の死傷又は物の損壊があつたときは、当該車輛等の運転者その他の乗務員は直ちに車輛等の運転を停止して云々」と規定し、この原則の片鱗を示すものであり、従つて事故惹起を未必的にでも認識した当該車輛の運転者は直ちに車輛を停止し、人の死傷、物の損壊等救護その他の措置を必要とする災害の生じなかつたことを積極的に確認した場合でなければ救護措置等の義務は免れ得ないものであつて、かかる確認をしないで運転を継続し現場を立ち去り、ついに救護等をしなかつた態様の運転者に対しては(救護その他の措置を必要とする災害の発生している限り)その確認をしないで現場を立ち去つたそれ自体をもつて(勿論法定の除外事由ある場合は格別)、そのときすでに同条における救護等義務違反罪は成立するものと(同条項を始め同条四項までの法意その他斯法の目的とその全趣旨からこれを積極的に)解釈するのが相当である。(この場合ただ「災害」の認識を欠いた点が刑の量定に影響ある問題として考えられるのは格別、運転者に事故による災害の確定的または未必的認識があつて同罪に問われる典型的な違反の場合と選ぶところはない。)そうだとすれば被告人は、前示のとおり自車の交通による事故の認識(未必的認識)がありながら停止のうえ下車する等して積極的に、救護その他の措置を必要とする災害のないことを確認しないで(「ドア」も開かず、たゞ車中運転席より後部窓越しに後方のみを一見した位では殊に夜間の事故であるだけに、災害事故のないことの確認があつたものとは到底云われない)、そのまま運転を継続してその場を立ち去つたものであり、(しかも前示救護の措置を要する人身傷害の災害が発生していたのであるから)救護等義務違反の罪責は免れえない。

事故報告義務違反の点について考えるに、およそ事故報告行為は、警察官に救護等即時適切な処置を執らしめんがため、最終的に云い報告義務者が事故報告を志向して即刻(一)報告事項の調査(取材)に心身を働らかせ、(二)その結果を(すでに講じた措置あればそれも加えて)直ちに現実に、警察官にもたらす運動をする、二重構造を持ち、この総合統一したものが事故報告であると解される。であるから報告義務者は先ず、(当該車輛の運転者、運転者が死亡し、又負傷したためやむを得ないときは、その他の乗務員)義務として事故の調査をしなければならないことに帰結する。この調査は報告義務者が事故現場に五管をさらして取材し事故を確認することの方法論的の謂いであつて前示救護等措置義務で判断した事故(災害)の確認にほかならない。本件報告義務者である被告人は前示態様の交通事故の未必的認識があるのに、報告に不可欠な事故内容ならびに災害に対する調査の行動をとらず運転を継続してその場を立去り、ついに報告をしなかつたものであり(その詳細は前叙のとおり)、その所為は、これを要するに被告人は報告事項の調査(確認)からして怠り、ついに報告をしなかつた、というに帰着するから同法七二条一項後段を前同様の趣旨からそのように積極的に解釈し、その現場を立去つたときすでに被告人に報告義務違反罪が成立するものと認定する。(運転者に事故による災害の認識があつた場合の救護等義務違反と報告義務違反の両罪は併合罪の関係をもつて律すべきであるが、右両違反が本件のように事故による災害の確認(事故内容の具体的調査)の行動をとらなかつた点より立脚して両罪に問擬される場合においては、右両罪の関係は一個の行為にして二個の罪名に触れる場合にあたるものといわなければならない。((この処断関係は「法令の適用」欄参照。)))さらに、弁護人の期待不可能による責任阻却の主張に関連し、交通事故の場合運転者にかかる事故確認の行動を求めることは苛酷か否につき検討するに、加害者被害者を問わず車輛を交じえた道路交通直面者のすべては互に、相手方は自己同様事故の防止に極力注意して行動をするし、万一、事故の起きた場合には原因は何れの側にあるにせよ最も現場に直面し身近かにある筈の加害相手方は、誰よりも先に事故を確認し、被害相手方の救護等に適切な措置を講じてくれるものと信頼してよいとし、加害相手方は、そのことのみならず、道路交通法の規定にまつまでもなく人災作出者の立場における義務としても、これに応えなければならいことはいずれも、社会条理と云えるのみならず、経験則上この条理を尊ぶの余り、その信頼と義務を裏切つた当該者に集中する非難の強大な輓近の世情に思いを巡らしたなら事故を未必的にも認識した加害車輛運転者に、何にはさておき停止して、救護その他の措置を要する災害の確認行動を期待することは決して苛酷ではなく期待可能といえる。当裁判所は以上のように、すでに被告人が事故の確認をしなかつた段階に立脚して両罪の成立を認定しているのであるから、弁護人の主張するような前提に立つ期待不可能による責任阻却の主張は遺憾ながら採用できない。

(法令の適用)

「判示(一)の所為につき

刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条一項三条一項(罰金刑選択)

判示(二)の所為につき

道路交通法七二条一項前段、一一七条

罰金等臨時措置法二条一項

判示(三)の所為につき

道路交通法七二条一項後段、一一九条一項一〇号、罰金等臨時措置法二条一項

判示(二)救護等義務違反と、同(三)報告義務違反の観念的競合関係について

刑法五四条一項前段一〇条により一罪として重い救護等義務違反罪の刑に従い処断(罰金刑選択)

以上、業務上過失傷害と処断上一罪たる救護等義務違反の併合罪関係について

刑法四五条前段四八条二項

労役場留置について

刑法一八条

訴訟費用の負担について

刑事訴訟法一八一条一項本文」

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 亀田松太郎)

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